甲州の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

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歴史探訪

山梨県甲州市歴史探訪
甲州市の概要
甲州市は、山梨県の北東部に位置し、北に埼玉県、西に山梨市、南に笛吹市、東に大月市などと隣接しています。平成17年(2005年)11月1日に、塩山市・勝沼町・大和村が合併して、同市が誕生しました。市域は、甲府盆地東部の山岳地帯から流れ出した、複数の河川によって作られた複合扇状地から成り、豊かな自然環境に恵まれた田園都市です。また、武田氏ゆかりの史跡や、ワイン醸造発祥にまつわる近代化遺産など、歴史に彩られた多くの文化資産を有しています。

甲州のあゆみ
甲州の地は、古来から自然環境に恵まれており、古代集落(釈迦堂遺跡)やその出土品から、約1万5千年前の先土器時代に人々の生活が始まり、狩猟者や漁労者が多く住みついていたことがわかっています。

戦国時代の甲州は、甲斐地方を拠点として勢力を持っていた武田三代、信虎・信玄・勝頼の影響下にありました。信虎の弟・勝沼次郎五郎信友が勝沼に館を構えており、甲斐の戦略上、重要な拠点であったと伝えられています。

武田軍の軍用金は、甲斐の国を囲む山々の、ほぼ全域から掘り出される金に拠っていましたが、中でも塩山の「黒川金山」は採掘量も多く、武田軍団の財政面を陰で支えていました。この金山では多くの人々が働き、その坑夫たちが住む集落は「黒川千軒」と呼ばれるほどでした。また、金山の経営にあたっていた「金山衆」は、最高の技術をもった職業集団として戦にも参加し、その技術を生かして城をも取り崩すという工作隊的な任務についていました。武田信玄が野田城を囲んだ時、この金山衆が井戸を掘り崩して敵の水を奪い、城を落としたという話もあります。

しかし天正10年(1582年)に武田氏は滅亡し、代わりに河尻秀隆が当地を治めました。信玄の菩提寺であった恵林寺は、織田信長に焼かれ、そのとき炎上する三門楼上で、快川国師は「安禅不必須山水、滅却心頭火自涼(あんぜんかならずしもさんすいをもちいず、しんとうめっきゃくすればひもおのずからすずし)」という有名な言葉を残し、寺と運命を共にしました。

江戸時代に入ってからは、甲州街道が開け、街道29宿の中で最も繁栄を極めた勝沼宿を中心に、町は経済、文化面において大いに賑わいました。また、独特の風土を利用して栽培されていた「甲州ぶどう」が主立って商品取引されるようになり、昭和20年(1945年)の戦後復興期から、独特の気候風土を活かした果樹栽培と観光産業が発展しました。それと同時に、ぶどう栽培を活かした二次産業として、ワイン産業が発展し、日本一のワイン産地に成長しました。

市町村成立としては、昭和16年(1941年)に東山梨郡大和村が、昭和29年(1954年)に東山梨郡勝沼町と塩山市がそれぞれ誕生しました。そして、50年以上の歳月を経て、平成17年(2005年)、それらが市町村合併したことにより、甲州市が誕生しました。


甲州の名前の由来
「甲州市」の市名は、市町村合併の際に市民から募集した結果、決定されました。


甲州の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
 旧高野家住宅(甘草屋敷)
住所: 〒404-0042
山梨県甲州市塩山上於曽1651 [地図を見る]
電話番号: 0553-33-5910
開館時間: 9:00〜16:30
休館日: 火曜日(祝日の場合は翌日)、12月28日〜1月4日
入館料: 大人300円







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